血煙銭湯

毎週日曜日更新

2019年08月

うーむネットフリックスで始まった「マインドハンター・シーズン2」が相変わらず面白い。
サスペンスの名手であるフィンチャーがスタッフから外れたのは残念だが、
もしやそのせいで製作が遅れてしまったのか(シーズン1は2017年ですからね)、
それでも実在の殺人鬼へのインタビューや実際の連続殺人事件をうまくとりこみながら、
半分フィクションである主要人物のプライベートの懊悩を絡めるストーリーは
ありふれたドラマとは一味違う切れ味がある。

特にチームの大黒柱であるテンチ捜査官の養子がオネショしたシーンなどは
シリアルキラーを多数調べたことのある人なら「あっ」と思うことだろう。
物語の舞台は80年代前半なんだけど2000年代に自爆的にとっつかまる
連続殺人犯BTKがシーズン1からドラマにちょくちょく出てくるのが、
どう絡んでくるのか興味深いところ。

しかし今日の本題はそこではなく、土曜日に公開が終わった
「ジャイアントまりん」第十話の裏話だ。
第十話で扱っている内容は、シリーズ全体で言えば重要度は低い。
コメディなんだから、ドノヴァンへの敗北感にうちのめされたりせず
いつもどおりバカな話をしていた方が「らしい」。
それを承知の上でこういう話をしたのは、せっかく設定を作り上げた
マックス・ライオネルというキャラを一度は話の中心に持って来たかったのと、
「ナムが地球を離れない事情の変化」もついでに説明したかったから。

当初は、まりんがライオネルとは知らずに親し気に話して立ち直る一方
それを目撃していたナムがやきもちを焼く、といった展開を考えていた。
それでライオネルの真似をするナム…みたいな可愛いオチになる予定だったのだが、
恋愛模様を絡めると、話の焦点がボケてしまうことや、
登場する怪獣のコンセプトも決まってなかったりして、
取捨選択の末にナムのやきもちを削除し、まりんが立ち直る(開き直る)だけの形へ昇華すると
自然、対する怪獣のタイプも決まったのである。
やはり一話完結形式は、内容が簡潔な方がいい(ダジャレちゃうで)。

マックス・ライオネルに関しては以前もここで語ったが、
最初はマッチョ美形だったのを、面白みがないのでハゲマッチョにしたらキャラが立ったので、
ついでにストーンコールド・スティーブ・オースチンの経歴に近づけたという経緯がある。
だから冒頭に登場する社長もストンコのライバルであるWWE社長ビンス・マクマホンがモデル。
プロレスに興味のない人は知らないだろうが、このビンス社長
その驚くべきヤリ手ぶりがアメリカのプロレスありかたを変え、
経営手腕の見事さがビジネス教科書にまで載ったほどの偉人である。

特にWWEをペイパービューで放送するようになった際、
州の体育協会に「その収益の一部を収めろ」と言われると
「プロレスはスポーツじゃなくスポーツエンタテインメントやで」
と台本があることを公言してこれを回避。
こうしてプロレスの内幕を大胆に暴露したことで逆に株式公開が可能となり
古くからあった「プロレス八百長問題」すらも吹き飛ばしてしまった点は
まさにコロンブスの卵的な経営発想だ。
(面白いからガチかどうかは問題じゃないってレベルになったというべきか)
そのうえ、ストーンコールドの人気が高まると、
それまでのまともなビジネスマン風の雰囲気を脱ぎ捨てて
悪徳経営者の役割に回り、ストンコVS経営側のアングルで
脅されておしっこ漏らしたり、入院中にストンコにボコボコにされたり
あげく自分自身が(元々ただのビジネスマンだよ!)ストンコと戦ったりして
WWEを他のプロレス団体が追い付けないほどの人気に押し上げてしまった。
日本のプロレス人気の凋落ぶりからは信じられないほど
アメプロが今も大人気なのはこの人のおかげといってさしつかえない。

閑話休題。

途中で話題になる「ウォータンク・ウィッチ・エンド」はほぼアドリブだが
単純にガルパン+リトルウィッチアカデミアなネタでは面白くないので、
何かにひっかけたタイトルにしよう!
と頭を巡らせた末に北米プロレス団体WWEにひっかけた。
今回のネタがネタだからね。
それと、なんで魔女っ娘要素を加えたかというと、
第一話最初のページで戸田氏の着ていたシャツがこれの本当のネタ元だったから。
あれもアドリブで描いたんだけど、これを何かに使えないかと前々から企んでいて
たどり着いたのが今回のWWEだったのである!(衝撃の事実…か?)

この後に出てくるまりんの熱心なライオネルの歴史は、
アメプロファンなら分かる、ストンコの有名エピソードだ。
(ネームにした時はこのネタわかるのか不安だったが、
どうやらプロレスファンには伝わっていた模様)
日本人にとってはアメプロというとドゥエイン・ジョンソンことロック様は知ってるけど
ストーンコールド・スティーブ・オースチンは知らない人が多いと思う。
僕もそうだった。
しかし実のところストーンコールドはアメリカマット界において
ホーガンに匹敵するほどのレジェンドで、ロック様より上の存在感の持ち主なのである。

若い頃は日本に遠征中、首をケガしてる蝶野にパイルドライバーをかまして怒らせたり、
大物スーパースターの介添えを受けてもいいところを見せられなかったりしたが、
徐々にヒールレスラーとしてやりたい放題のキャラを確立していった。
中でもドラッグ中毒から立ち直ったジェイク・ロバーツが
「俺が改心する時、もっとも心にしみたのはヨハネ3章16節だ」と語った際
(キリストを神の子として奉る根拠が示された聖書の重要箇所である)、
ストンコは「オメエの聖書の3章16節にはそう書かれてるかもしれねえが
オースチン3章16節には『お前をケツを蹴っ飛ばす』って書いてあるぜ!」と茶化す暴挙を行い、
これがキリスト教徒の多いアメリカ人を激怒させるどころか
逆に大ウケしてストーンコールド人気を不動のものとした。
ジャイアントまりんで「ハムラビ法典云々」のくだりはまさにここのパロディなのである。

僕はエキサイティングプロレスから入った人なので、アメプロのことは正直言ってニワカ。
だが本編のまりんはそうじゃないので、このくだりは資料をひっぱりだして勉強しなおした。
そのおかげなのか、このあとのまりんとマグナンの試合は
(試合じゃねえよ)
とてもプロレスらしい流れになった。

「さすらいの謎のコーチX」の難しい状況に適当なことを言って乗り切る流れは
確実に島本和彦先生のノリである。
「暗黒流れ星!」とか「ここに優勝旗を飾りたくはありませんか!」というやつ。
背景が燃えているのもそのせいだろう。
でも実際にコーチにならないのは、ナムとまりんの関係によけいな要素を入れたくなかったから。
ナムとまりんの関係って恋愛模様とかじゃなく、
バカなことをバカのままやりとりしつづけることなんじゃないかと
7話の内容を反芻してそう思うのだ。

第十話の怪獣は上記したとおり、一か月前くらいまでまったく考えつかなかった。
話の形態を簡潔にしたことでドノヴァンの劣化コピーというイメージにつながったのだ。
特に飛び道具のないストロングスタイルで、筋肉を妄信しているが実態は伴っていない
などといったツッコミどころもあり、とても扱いやすい怪獣だったと思う。
一方的なマグナンの展開から、一発で流れを変えて、凶器攻撃、
敵の攻撃をかわしてリング(?)を一周してのドロップキックでダウンしたところへ
追い打ちのフィニッシャー・ジャイアントピーチとプロレスらしい流れを描けたのは収穫。

なにしろ僕は今までほとんど命(タマ)の取り合いの戦いばっかり描いてたもんで、
なかなかプロレスらしい戦いの感覚がつかめなかったのよね。
毎回こういう怪獣だと戦いも組み立てやすいんだけど、
それだと描く方も読む方も飽きちゃうし(;^ω^)
難しいもんです。

フィニッシャーの前にある「プロレスと周辺環境を組み合わせたまったく新しい格闘技」
のナレーションは往年の格闘ゲーマーなら知っている「風雲黙示録」が元ネタ。
このゲームツッコミどころ満載という意味で伝説なんだけど、
知らない人のために参考動画を置いておこう。

2019年でもまったく新しい格闘技である。

ジャイアントまりんの第十一話「ホロフロア大作戦」は本日夜から投稿するが、
投稿形式に関して意見があったこともあり、
試しに週に一回4~7ページを一度に公開してみようと思う。
反応しだいでは今後この形式に定着するかもしれない。

~今週の映画~
今回は日本の漫画「銃夢」を原作とした「アリータ・バトルエンジェル」の感想

あらすじは…特に書かない。これは士郎先生の作品と並ぶ、
日本のSFサイバーパンクの金字塔。読むんだよオラッ

公開時、SNSでは「なんで銃夢じゃないの」とか言われたし、僕もそう思ったんだけど
それができなかった理由は今回本編を見て分かった。
モーターボールのシーンで「アリータ」と応援プラカードを掲げる観衆がおり、
これを修正するのは大変な手間がかかるので(ディズニーならやるんだけど)、
原題をそのままにしたのだろう。
それでなくとも、連載作品である原作ならいつかタイトルを回収する時があるかもと
タイトルが「銃夢」のままでもいいが、続編があるかどうかもわからない映画では
「銃夢」などとタイトルつけても、主人公は最後まで銃を使わないので
何も知らない観客を混乱させるだけ、といった理由もありそうだ。

似たような理由として、アリータのモーターボールヘルメットがハーフフェイスでダサかったり
名前を明かすとネタバレになるあの人が眼鏡をとっちゃうのは、
「ハリウッド俳優は顔が命」とばかりに、せっかく生身で出演してるのに
顔が隠れるのでは意味がない、という理由が多分に考えられる。
めんどくさいが向こうではそういった契約が細かいので仕方あるまい。

劇場公開を見たフォロワーの方々の感想では良好な印象で、
僕もハズレではなかろうと配信されるかどうかわからないネトフリを待たずに
レンタルで視聴したのだが、感想としては思いのほか五分五分といったところ。
ストーリーはかつて発売された上下巻のOVAを下地にしている。
このアニメはスーパーバイザーをりんたろうさんが、
キャラデザインと総作画監督を結城信輝さんが
つとめるとあって大変期待して入手したのだが、
肝心の出来はというと微妙…。

というかどう考えてもあの密度の原作1、2巻を
一本三十分のOVA2巻でうまいことまとめられるわけがない。
唯一、光っていたのがオリジナルキャラのチレンの使い方で、
原作において死にかけたユーゴを医療の素人であるガリィが
どうやって自分の心臓とつないだのか
「うまい展開だけど、若干無理のあるシーン」を
彼女を投入することにより、自然に回収した部分。
OVAと同じように短い時間でまとめないといけない映画で、
これを踏襲せざるを得なかったのが実情か。

とはいえアニメーションでは時間がなかったのか今一歩だったアクションシーンが
今回の実写版ではこれが期待以上の出来になっていたのはさすがロバート・ロドリゲス。
こういうシーンは上手い。
特にモーターボールなどは
「これだよ!ファンが銃夢の動画で期待していたのは、
まさにこういうハイスピード&バイオレンスなんだよ!」
と拳を握りしめてしまったほどである。

一方でガッカリというほとではないにしろ、感動できなかったのがユーゴ(ヒューゴ)まわり。
なぜユーゴがあれほどザレムに固執し、そのためにヤバイと思ってても
犯罪に走らざるをえなかったのか。
OVAはまったく時間がない分、演じた山口勝平の演技で補っていたのだが、
映画はもうちょっと時間があるので、兄貴のくだりをやった方がよかったように思う。
ユーゴの背景がないもんだから、
クライマックスでファクトリーチューブを上るシーンにももう一つ説得力がない。
しかもここでガリィの回想シーン(映画オリジナル)が入るからなお散漫な印象になってしまった。

まああと気になったのが、グリシュカがグラインドカッターで犬を惨殺するシーン。
アニメは気合十分に犬のバラバラシーンが描きこまれていたのだが、
アメリカは動物愛護団体がうるさいので、人間をバラバラにしてもいいけど
犬や猫をバラバラにするシーンを見せられないとか矛盾してるゥ!

てな具合で、アクションシーンは満点、それ以外のシーンはもうちょっと…
というのが本作の感想。
原作漫画は最近えらい更新が遅れてるけど、
ベルセルクみたいに「描いても描いても終わらない」とか
富樫先生みたいに「話を考えるのが大変で進まない」とかじゃなく
木城先生の体調問題らしいので心配なところ。
火星戦記編はたぶん「なぜガリィが地球投下刑にされても生きていたか」の答え合わせだと
思ってるんだけど(旧ビジネスジャンプ版では違う理由が描かれていた)、
ちゃんと最後まで見られるのかだんだん不安になってきた。
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今週はお盆なのに台風直撃してみなさんご無事でしょうか。
北海道東部はまったくもってなんでもなかったよ。
お盆で休みもあったので、二回ほどpixivスケッチで作業工程を垂れ流したりしてみたけど、
一回目はfirefoxだったせいかうまくつながらず、
土曜日にやった二回目はGooglechromeを使ったので上手くいったようでなにより。
見に来てくれた方ありがとう。

しかしなんでもかんでもchromeじゃないとうまくいかない流れになってきたりして、
他のブラウザ愛好者にとっては肩身が狭くなる一方だねえ。
それはともかく作業工程の公開に関しては、前からやりたいと言うてたが、
動画にすると編集作業が手間だし、youtubeで公開するには
よう考えたら僕の絵は際どいことがよくあるので、
Google様の厳しいレギュレーションではBANされる可能性が高く、
じゃあ一番安パイなのはpixivスケッチじゃねえの?
という結論になった。
見ていた人は「おい、これで完成って早くねえか…」と唖然としたかもしれないが、
丁度ジャイアントまりん11話って、全体的に作画が楽なお話なのだ。
背景とか人物がたくさんある時はあんなに早くできあがらないからね(;^ω^)
生放送は機会があればまた今度。

話は変わって、最近驚いたのがもりしげ先生が山本夜羽音先生との対立の過程から
秋田書店に連載を切られてしまったという件。
理由や経緯はtogetterにまとめられてるんだけど、いささか錯綜しているのでちゃんとまとめると

山本夜羽音先生が宗教を隠れ蓑にした政治活動団体に10代の子供を勧誘する

夜羽音先生の活動家としての経歴(公安にも目をつけられてる)を知っていた
もりしげ先生がその子供たちを制止、説得する。

もりしげ先生、炎上(ご本人は覚悟の上だったもよう)。
もりしげ先生の説得時の言論や態度に反感を抱いた人や、先生の15年来のストーカー、
夜羽音先生の団体シンパなどの反応もあったようで、この辺は双方問題があったやも。

7月秋田書店、連載中の「おしかけメイドの白雪さん」を休載

8月秋田書店、同上を打ち切り。

ということのようである。
夜羽音先生がいつの間にやらそんなことを始めていたとは、
中央と距離のある地方民には驚きだったが、どうも業界内では前々から問題児であったらしい。
(借金を頼んでくるけど、一度も返したことがないとかなんとか)
まあこのブログでは表現規制以外の社会・政治情勢や
創作のネタにできる以外の宗教・オカルトの話はしないスタンスと決めているので、
夜羽音先生の活動に関してこれ以上言及しない。
なんでも好きにやってください。
もりしげ先生の行動も善意から出たとはいえ言動には確かに問題があったかもしれない。
が、ここでもっとも看過できないのは秋田書店の行動である。

とそれらしいことを書いてはあるが、どうももりしげ先生とはきちんと話し合いの場をもたず
一方的にこの処分を決めてしまったらしいのである。
本人も「連載終了の申し入れなんかしていない」とツイートしてるし。
どうにも、もしりげ先生は作品がアニメ化されたほどの実績があるにも関わらず、
秋田書店からは邪見に扱われていたようで、この処置もその延長線上にあるようだ。
全国に雑誌を販売するほどの大手出版社らしからぬやり口は、ナントカ興行社長の
「俺にはお前ら全員をクビにする力があるんだぞ」といった恫喝と大差ない。

仮にもまともな会社なら、今回の事件について先生との話し合いや経緯説明の場を設け
そのうえでもりしげ先生あるいは、その炎上対象者への対処を判断して
事態収拾への道筋をつけていくのがあるべき姿じゃないのかな。
「こいつ扱いがめんどくせえから切る」という態度では
昨今のクリエイター軽視と言われる情勢を自ら示してしまったようなものだ。

などと恐れを知らぬことを言えるのは、僕はこの手の出版社とじぇんじぇん縁がないからなのだ。
もりしげ先生には「よく反論の声をあげてくれました」なんて言ってもらったけど、
わしゃ秋田書店どころか夜羽音先生にだって歯牙にかけられない程度のザコですぜうへへ。
まあこのブログを読んでる方々も、本件についていろいろ考える意味はあるかもしれないので、
一応リンクを貼っておこう。
もりしげ先生の『おしかけメイドの白雪さん』が休載した理由

えーさて、今週の本題は(ここから本題なのです!)、~今週の映画~特集。
ネトフリで気になる映画をマイリスしてるんだけど、だいぶ溜まってきてしまったので
お盆休みを利用して、ある程度消化しようとの企みである。
一本目は「ブレードランナー2049

あらすじ
2049年、地球の異常気象と生態系崩壊は更に進行していた。
ロサンゼルスは海面上昇で沿岸部が多く失われ、
内陸に後退した市街地は巨大な防波堤に囲まれ、6月でも雪が降っていた。
LAPDの「ブレードランナー」として旧型のレプリカントを「解任(抹殺)」する職務に就く
ネクサス9型レプリカントのKは、ウォレス社製の家庭用AIのジョイを恋人として暮らしている。
ある日、Kはロサンゼルス郊外で合成農場を営んでいた逃亡レプリカントのサッパー・モートンを
「解任」するが、その庭にある枯木の根元深くよりトランクを発見する。
トランクの中身は遺骨で、検死の結果帝王切開の合併症で約30年前に死亡した女性であった。
遺骨には製造番号が刻まれており、レプリカントであったことが判明する。
レプリカントの出産は前代未聞。
Kの上司であるジョシ警部補は、事実公表によって起きるであろう社会混乱を憂慮し、
Kに事件の痕跡を消すよう命令する。
Kはウォレス社を訪ね、遺骨は2019年に逃亡したレプリカントのレイチェルであること、
逃亡直前にLAPDの元ブレードランナー、リック・デッカードと恋愛関係にあったことを知る。
ウォレスは、タイレル博士が確立していたレプリカントの生殖技術を以前より欲しており、
片腕であるレプリカントのラヴにレイチェルの子供を見つけ連れて来るよう命令する。

このコーナーでやってるあらすじは
少し前からwikiに書いてある内容をコピペ加工している。
省力化じゃぐへへ。
ブレードランナーは革新的ビジュアルから、未公開シーンを付け足したバージョンが
いくつも販売されるほどの人気を博したで映画ある。僕もそりゃ何度も見た。
何度も見てもビジュアル的な革新性以外は「これは面白いのか?」と悩まされてきたのだが、
あるところで「これは雰囲気映画だから映像を楽しめばいいんだよ」と目にして
ようやく納得がいった次第である。
そーかー。あれはリドリー・スコットの映像センスと
ルトガー・ハウアーのアドリブだけでええんや!
まあそれはそれとして、それだけの伝説的作品だけに続編は不安視していたんだけど、
見た人からはけっこう悪くない評判を耳にしていた。

実際に見てみて、旧作の世界観を尊重したビジュアルと、
前作のストーリーを踏襲した展開は正直にうれしいね。
主人公をレプリカント、ヒロインを立体映像のジョイにしたことで、
前作以上に「人間を人間たらしめているものとは何ぞや」というテーマが浮き彫りになってる。
捜査を通じて、己のアイデンティティに苦悩しはじめたKを
ジョイが人間そのものの愛情をもって立ち直らせていく様はまさにそれだ。
レイチェルの子供は誰なのか、Kの記憶は何を意味するのか…といった伏線を
巧妙に使って視聴者をひっぱっていくストーリーテングもお見事。
前作のように意味のありそうでなさそうなシーンで引っ張るようなことをしていないのね。
本作は各地の映画賞で特に撮影賞を取ってるわけだけど、
それはもちろん前作の世界観を踏襲したビジュアルだからじゃあない。
立体映像のジョイが娼婦と重なって、Kと物理的に交わるシーンなどはこのCG全盛の今をしても
「どうやったんじゃこれ」と言わしめる驚きに満ちていた。ここは本当にすごい。

と全般に満足度の高い作品だったけど、わずかに難を言うなら伏線を微妙に回収しきれてないのと、
世界観があまり広がらなかったことかな。前作もそうだったけど今作も宇宙の話は出るんだけど、
実際にあの世界観で宇宙がどうなってるのかは見られないんだよね。
いやまあ、ドラマ的に見せる理由はなかったのも確かではある。

二本目は「アイアムアヒーロー

あらすじは…わりと有名な漫画原作なので必要ないかな。
漫画家くずれの中年・鈴木英雄が、突如起こったゾンビパニックの中、
途中で出会った女子高生・比呂美とともに生き残る道を探すサバイバルアクションだ。

ぶっちゃけ言うと僕はこの原作漫画が好きじゃあない。
途中までは好きだったんだけど、あれだけ時間をかけてばらまき続けた伏線が、
結局ほとんど回収されることなく唐突にゾンビパニックは収束し、
英雄は結局ヒーローになることもなく孤独に生き続ける。
…なんて明らかに放り投げたような終わり方で納得できるはずがないでしょ!
不人気なわけでも売れ行きが悪かったわけでもないのに、
読者をここまで引っ張っておいてこんな終わり方をするのかこの作者は。
憤懣やるかたない。
島本和彦先生の「吠えろペン」では「いい漫画家は一番面白くない回を最終回にもってくる」
と言っていたし、確かにそういう面もないことはないが、これは最終回のひどい漫画の
ひとつに数えたいところである。

映画アイアムアヒーローは、そんな原作連載がクライマックスに差し掛かったころに
公開されたもので、当然原作が終わってないから中途半端──
具体的にはショッピングモール編で終わるし、
ゾンビパニックも収まるわけではないのだが、
アクションホラーとしては非常に手堅くまとまっている良作であった。
二時間六分とやや長い尺ではあるものの、原作をうまいこと省略して
次々場面が進むのでダレないのは大きい。

一応問題点としては、タイトルにもなっている「ヒーロー」を達成するため、
半感染者として重要な局面で役に立つ比呂美の出番が削られている面とか、
いくら散弾銃でも、たとえ弾薬がトリプルオーバックでも頭部が(それも一発で二人分)
吹き飛ぶわけがないとかいくつかあるが、脚本がいいのでさほど気にならない。

あの良く言えばじわじわと、悪く言うとだらだらと恐怖感をあおっていく原作を、
無駄なくかつエキサイティングに進めていくのは見ていて気持ちがいい。
主役を決して絵的に決まることがない大泉洋にしたのも、鈴木英雄らしさが出ていてベスト判断だ。
(宇宙兄弟の実写版も、小栗旬のようなイケメンではなく大泉洋にすべきだったと今も思ってる。
ムッタはあんなにカッコよくないでしょ!)
とはいえ英雄が声を荒げる場面ではついつい
「お、シェフ大泉がヒゲの家族に腐ったピザ生地を食わせにいくのかな?」
と某番組がオーバーラップするのは道民として否めないが。
ショッピングモールに流れた音楽に合わせて、あの陸上選手ZQNが飛ぶところなど
絵と文字だけの原作には成し得ない、映画ならではの演出センスも光っている。

日本製のゾンビ映画って、もう今まで本当にダメなのばっかりだったんだけど、
ようやくにしてちゃんとしたゾンビ映画が出来たかーと嬉しさのこみあげた次第である。

三本目は「アイアムマザー

あらすじ
人類のほとんどが死滅した後、人類を復活させるための全自動システムが起動。
母親という名のロボットが保存されている多数の胚から一つを選び出し人間を育て始める。
数年後、成長した娘から「何故一つの胚しか育てていないのか」と尋ねられた母親は
「良い親になるための練習期間が必要だから」と答えた。
娘が10代になり外の世界への関心を高めはじめると、
母親は外の世界は汚染されているので、一歩外に出れば死んでしまうと言い聞かせる。
ある日、母親が充電休止中、施設の外から助けを求める声が聞こえてきた。
娘が施設のエアロックを開けると、果たして怪我をした女性が倒れ込んでくる。
警報が鳴り響き、緊急起動した母親をごまかして女性を助けた娘は、
彼女が母親そっくりのアンドロイドに襲われたことを明かす。
母親と女性の言い分、いったいどっちが本当のことなのか。
娘の中に疑念がうず巻き始めた。

別にアイアムアヒーローとかぶせるつもりはなかったんだけど、
これはネットフリックス限定配信のSFサスペンス映画だ。
登場人物はたったの三人(うち一人ロボット)であるものの、
その分破綻なく作られ、またメカデザインも秀逸。
わずかな出番しかないメカもしっかり作られていて世界観に説得力を与えている。
デザインの何がどう秀逸かというと、母親の善悪を感じさせない無機質な雰囲気だ。
うかつに好感の抱ける、あるいは嫌悪感を秘めたデザインにしてしまうと
せっかくのサスペンス感が台無しになってしまうのだ。
「このロボットの母親は果たして敵なのか味方なのか」
それを読めないデザインにするべく、いろいろと試行錯誤したのではないかと思う。

またこのロボット、動きの方も秀逸で、
もちろん現在のテクノロジーではこんな高度な二足歩行ロボットは作れないから
中に人間が入ってるんだろうけど、かの「ロボコップ」より機械的に挙動する姿は
メカニック好きにはちょっとたまらない。
多少のCG補正はありそうだが。

物語の核となるサスペンス部分にしても、娘はやや母親を疑い気味であるものの、
視聴者としてはどっちも怪しく、どちらが嘘をついているのか分からなくて
クライマックス以降は目が離せなくなるだろう。
これだけしっかり作られているSFではあるものの、
登場人物の少なさやサスペンスであることが災いしたのか派手さには欠ける。
逆を言えば、だからこそ宣伝や興行成績を気にしないといけない劇場公開より
じっくり視聴者を呼び込めるネットフリックス向きだった言えるだろう。
地味だけど、描くべきスタンスが最後までブレない良作として、SFファンにオススメしたい。

……と三本見て来たんですが、なんという事でしょう。今回ハズレ映画がない!
くそう! 三本くらい見ればどれかはハズレだろうと期待していたのに!(なんでや)
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またネトフリのお話で恐縮だが、あそこ専属で配信されているアニメ
「ヒーロー≠マスク」の第二シーズンが近いうちに始まるというので、
数日かけて10話くらい視聴してみた。

あらすじはというと
近未来、首都警察特殊捜査部(SSC)所属する刑事スティーブンは恩人の検事死亡事件に疑惑を抱く。
そんな中、死んだはずの犯罪者が警察本部を襲撃する事件が発生。
これは装着すると超人的な能力をもたらす折り紙のようなマスクが原因であり、
恩人の死亡もこれに関わりがある結論にたどり着く。
すべては巨大企業、ライブ社につながっていることを匂わせるが、
これまでもライブ社は数々の疑義を抱かれながらも周到に立件を免れて来た。
スティーブンはマスクの謎を解き、ライブ社の闇にせまることができるのか。
というSFサスペンスアクションだ。



ネトフリが出資し、スタジオぴえろが製作してるだけあって作画レベルは非常に高く、
特に最近では珍しくカー&ガンアクションを手描きでやっているなど、
身を乗り出して感心するほどの魅力は多分にある。
けれどもストーリー展開がいささか地味だったり、冗長だったり、
優秀とはいえいち刑事にすぎないスティーブンがハンドガン一丁で、
暗視ゴーグル・防弾装備・アサルトライフルで身を固めた
ライブ社の特殊部隊を一人で片づけてしまうなど、
リアル寄りの世界観にしては無茶なシーンもある。

SFとしてはガジェットの面白さや驚きが弱く、
サスペンスとしては展開が散漫だったり、高低差がないのが退屈に感じるのもしばしば。
うーん、まだ1シーズン見終わってないとはいえ、
ちょーっとこれはきつくないっすか?
というのが僕の感想。
アクションシーンはなかなか凄い事やってるんだけどねー。
毎回そういうシーンがあるわけじゃないし。

閑話休題

今日はね、何の話をしようか全然考えてなかった…こともないんだけど、
「ジャイアントまりん」10話でちょっとネタにしているアメリカンプロレスの話をしようか
それとも夏だけに楳図かずお先生の「神の左手悪魔の右手」の話でもしようかと
迷って全然ちゃんと決めないままに書き出しているのだ。

まあアメプロの話とか、僕は全然ニワカなんですけどね。
興味を持ったのがゲーム「エキサイティングプロレス」からで、
そこから勉強して、今の日本のプロレスに比べて、アメプロがなぜこうも成功してるのか
とか知ると、WWEの経営者であるビンス・マクマホンがいかに型破りで、
いかに経営者として有能であったか。
とかなかなか面白いんですわこれが。
日本のプロレス経営者では絶対にできないことをやってきた人なんだ。

でもこれってこのブログを読んでる人にとって、興味をそそる内容かな?
と考えるとなんか一歩引いてしまうよね。
やっぱり閲覧者の割合から考えると、アニメ漫画の話題の方が好きそうだし。

えーとじゃあ「神の左手悪魔の右手」の話をしよう。
この漫画は、楳図先生の作品では僕は「漂流教室」の次に好きな作品だ。
夢見がちな小学生の少年・山の辺想が次々と奇怪な事件に遭遇し、
夢と現実が定かならない状況へと陥っていく…。
楳図先生のホラーはいろいろあるけども、本作はその中でもひときわどす黒い描写がある一方
それでいて「猫目小僧」以来のスーパーヒーローものであるという、
正確なジャンル分けがしにくいシリーズだ。



読んだことのある人は「は?スーパーヒーロー、どこがやねん」と思うかもしれない。
本作は「錆びたハサミ」「消えた消しゴム」「女王蜘蛛の舌」「黒い絵本」「影亡者」の
五つのエピソードからなり、楳図先生の長編では「おろち」と並んで短いシリーズになっている。
その事件すべてを解決するのが、想の分身にして守護霊の「ぬーめらうーめら」。
出れば勝つ! という黄金バットよりはるかに無敵なぬーめらうーめらを
スーパーヒーローと呼ばずして何と呼ぼうや。
と僕は思い続けている。

第一話「錆びたハサミ」は想の姉・泉の両目を切り裂いて錆びたハサミが出てくる
(しかも本誌掲載時はこれが赤黒の二色刷りだった。読者をショック死させる気か)
ショッキングなシーンから始まるが、これは想の夢。
大雨で流れて来た(!)謎の地下室で想が拾ったハサミが忌まわしいきっかけとなり、
姉が飼い猫を殺したと思ったら突然大量の泥を吐きだしたり、新任の先生が想を襲ったりと、
いったい恐怖の本命は誰なんだよと状況が二転三転する。
(今見返すと支離滅裂な展開だが、ホラーだから許される)
しかし第一話から美少女の泉に泥を吐かせたり、骸骨を吐かせたり
変な性癖を刺激する漫画だなあ。
結局は流れて来た地下室に潜んでいた、
老婆とその奇怪な息子が呪いの震源であったことが判明。
僕は後年気づいたんだけど、話のコンセプトがホラー映画「フェノミナ」とよく似ている。
たまたま似たのか、それとも元ネタなのか。楳図先生は既存のホラー映画に似た話は
あまり作らないんだけどねー。

蘇った老婆と息子はもはやこの世のものではないのか、
徒歩にもかかわらずジェイソンよろしくワープ(そうとしか思えない)して
被害を増やしていく。
勝ち誇ったように高笑いする老婆。もうこの状況どうなんねん、
というというところへ突如現れる子供のような影!
あの恐ろしい老婆ですら、その姿を一目見るなり「ウワーーーーッ」っと縮み上がる。
(どんな姿か読者には見えない)
それこそがこのシリーズのヒーロー、ぬーめらうーめらだ!
彼は老婆と息子を「悪魔の右手」で滅殺すると、被害者を「神の左手」で癒していく
タイトル回収だ!
その一方で、姉の意地の悪い同級生をめちゃめちゃに切り裂いたりする。
「でもあれは夢だからいいや」
想くん、オメーよお!(;^ω^)

子供は純粋で無邪気。だからこそどこまでも残酷になれる。
楳図先生はそのスタンスを一貫した作家で、本作も「私は真悟」「14歳」も青年誌連載だが、
ずっと子供を主役にしてこうした恐怖と救いを描き続けて来た。
この点は本当に並ぶ者がいない、稀有な作家性であったと思う。

第二話「消えた消しゴム」第三話「女王蜘蛛の舌」もともにそうした話で、
「消えた消しゴム」では、人は死ぬと正体を現すといううわさ話から
想は友達と一緒に先生を殺してしまう(ええ…)。
でも翌日に殺したはずの先生が現れて、自分を殺した生徒をひとりまたひとりと連れ去っていく。
「女王蜘蛛の舌」は想の父の後輩である若い医師と一緒に別荘へ出かけ、
そこにいた貴婦人が若い医師を見初め、自分のものにしようとする。
話自体は「牡丹灯籠」的な黄金パターンの一種。しかし楳図先生は蜘蛛が大の苦手で、
劇中に出てくるものすごい量の蜘蛛は、全部アシスタントに描かせたらしい。

余談ながら、「IT」で最後にペニーワイズが見せる正体が蜘蛛で
これがそれまで盛り上げた恐怖を台無しにしているとファンの間では言われてきたのだが、
なんで蜘蛛なのかというと原作者のキングが蜘蛛嫌いだからなんだそうだ。
…オイオイ。

話がそれたけど、女王蜘蛛の化身である貴婦人はなんとか若い医師を自分のものにしようと
彼の婚約者に化けるのだが、彼女を怪しんだ想は、車に閉じ込めてバルサンをぶちこんだあげく
「お前は女王蜘蛛だろう!」とバンバン鉄パイプで脅したりする。
こええ子供だなおめえは。結果的にその通りだったからよかったものの。
とりあえず、この二本はあんまりぬーめらうーめらが出てこないこともあり、
シリーズの中では地味な話と言われる。

第四話「黒い絵本」は楳図作品史上最大ともいえる問題作で、
楳図先生の黒い部分を鍋にぶちこんでさらに黒く煮詰めたようなホラーとして
ファンの間では名高い。
あまりにも恐ろしいので「神の左手悪魔の右手」が実写映画した際、
このエピソードが使われたくらい。
でもこのエピソードだけ抜かれてもさー、ぬーめらうーめらの正体も分からないし、
主役は想じゃなくてお姉ちゃんの泉にされてるし…で、あまり映画の評価はよくない。
平成ガメラやゴジラ大怪獣総攻撃で知られる名匠・金子修介監督らしからぬ結果である。
(僕は未見)
この話はほとんど想が出てこず、離れた場所に住む脚の不自由な少女「もも」の危機に
想が感応して助けに行くという流れになっている。
「神の左手悪魔の右手」ではほぼすべての敵がバケモノか、かつて人間だったものである中
「黒い絵本」だけももの父親という「ただの人間」なのも異色である。

この父親は間違いなくサイコパスなんだけど、先日とあるブログで
この人が狂ったのはもものせいではないかという考察を見て、はたと今更ながら得心した。
最初の殺害はももによくにた人形をエサにして
二番目の殺害はももの好物であるケーキを死ぬまで食わせて
三番目の殺害は被害者を下水施設に閉じ込めたうえで両脚を折っている。
たしかにこれはももという少女の暗喩だ。
あまりに殺し方がえぐいので、そこまで考えが回らなかった。
それはともかく、この父親はただの人間なのでぬーめらうーめらが出てきたら手も足も出ない。
ところがまあこの父親が殺されるところまで悪夢のようなひどさで、
楳図ホラーが頂点に達した瞬間だったのは間違いない。

最終第五話「影亡者」は姉の泉の友人、貧乏だけど心が清い少女みよ子に
とんでもねえバケモンみたいな悪霊「影亡者」が取り憑き、
異様な幸運に導かれるまま、周囲の人間を不幸に突き落として
芸能界を駆け上っていくお話。
主人公の想は、突然他人の守護霊が見えるようになり、
読者はこれを糸口にこれまで正体不明だった「ぬーめらうーめら」と想の関係や正体が
わかってくるという仕組みになっている。
この回はとにかく異様な影亡者に目を奪われがちだが、
話の構造としては完璧にスーパーヒーローものだ。

事件をいつも解決する想は、影亡者に追い出されたみよ子の守護霊・三郎太が取り憑いたせいで
意識が消え、ごく序盤にリタイアしてしまう。
弟を助けようと泉は霊能者・香月細子(おいおいw)にすがるが、
香月はみよ子にとりついた影亡者を確かめようとして重症を負う。
この流れは「かつてない強敵を前に、主人公は動けず、前座の味方がやられる」
というヒーロージャンルにおける王道のピンチムーブだ。
幸運を操る影亡者に対しては、みよ子を殺そうと物理的な攻撃をしかけても跳ね返ってくる。
じゃあ同じ幸運を持つアイドル兵藤タケルをぶつけようと考えるが、
兵藤タケルについてる守護霊は子供の大群なので、まったく勝ち目がないという絶望感。
しまいにゃ影亡者が次元をこえて離れた場所にいる泉を殺そうとやってくる。
唯一対抗できるだろう肝心の想は意識不明のまま。
もはや成す術なしの絶体絶命の瞬間……。

このクライマックスにおける逆転劇は、
ホラー漫画の枠に収まらない見事なカタルシス
姿形はホラーだけど、完璧にヒーローだぬーめらうーめら!
うーん書いていてオラ興奮しちまったぞ。

そんなわけで夏に欲しくなる背筋も凍るホラー。
ヒーロー要素のある「神の左手悪魔の右手」はどうでしょうか。
ヘル&ヘヴン!(←これも神の左手悪魔の右手なんだ)

~今週の映画~
今回は帰って来たのが早すぎるシチュエーションスリラー「ジグソウ:ソウ・レガシー」の感想。

ある街で、おぞましい死体が次々と発見される。
その常軌を逸した状態から、かつてジグソウという名で多くの人間を死に追いやった
ジョン・クレイマーの存在が警察の捜査で浮かび上がる。
しかし、彼は十数年前にこの世を去っていた。
ジグソウに後継者がいたのか、彼に心酔する者による犯行なのかと、
さまざまな推測が飛び交うが……。

ここ10年くらいのホラーでは、飛びぬけた個性と面白さで長いシリーズとなりながら
ぐだぐだしてようやくファイナルで終わったソウシリーズの帰って来た続編。
シリーズ終了からそんなに経ってないのに早すぎじゃないですかね…。
(別に今日の本題の主人公想とかけたわけじゃないよ)
いやソウはさ、最初の一本目とその次くらいまでは面白かったんだけど、
ジグソウが死んでからは「ワイが後継者やで」「いやワイこそが後継者や」
てな話を繰り返すばかりで、見どころはいかに面白いピタゴラ殺人装置が出てくるか
しかなくなり実に陳腐になってしまった。
まあ、シリーズ化されたホラーの宿命ではあるけれど。

あらすじにもあるように、本作も実は旧シリーズの前にならえで同じことをやっているのだ。
ソウのピタゴラ殺人装置のアイデアは、旧シリーズでやりきってしまったので、
本作では「ジグソウが最初に考えた装置」なるものも出てくるのだが、
いうほど面白い装置ではない。
むしろ予告編で出てくるレーザー首輪が斬新。
いや、もちろんこの映画だってその辺のやっすいホラーに比べると、
ずっとちゃんとしてるし面白いんだけど、
初期のソウに比べるとどうですかね。いつもと同じやんか。
という結論に達してしまって、ハロウィンとか13金とかエルム街と違い、
知性派ホラーであるシリーズにしては、復活した割にあまりにも代わり映えしなさすぎる。

結局のところ、ジグソウ本人が初期で死んでしまったため、
誰が成り代わっても彼の存在感やカリスマには適わない、かないようがない。
これがこのシリーズの足かせになり続けてるんじゃないかなー。
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先週は気温の寒暖差が激しい!体おかしなる!
などと悲鳴をあげていたが、今度は一週間通して30度前後の気温とか
生まれてこの方北海道で過ごしてきたけどこんなのは初めて❤で
前回と違う意味で体がおかしくなるかと思った。

まだ生きている…_(:3 」∠)_
北海道は暑くなっても湿度が低いからカラッとしてることが多いんだけど、
今回は湿度が高い日も多くて苦しかったヨ。

先日「この世界の片隅に」が地上波初放送された。
このアニメは凄い凄いとは聞いてたんだけど、なかなか見る気になれなくて
(ネトフリではだいぶ前から配信されてたのにね)
いざ見てみると、宣伝用などの一枚絵からは想像つかないほどのクォリティで
演出、作画、演技といい、高畑勲と宮崎駿ですら
地団駄を踏んで悔しがるような出来栄えで圧倒されてしまった。
あ、でもこの映画についてのお話はあまりしません。
どうせ他にたくさんの良質な考察、批評が山ほどあるだろうし。
(じゃ、なんでこの話ふったん)
もう一方、大きな驚きがあったのがネットフリックスで、
八月に入ったとたん、わらわらとものすごい量の新規配信があった。
ケンガンアシュラ
ティーンエイジミュータントニンジャタートルズ(2014年実写版)
シン・ゴジラ(!)
アイアンマン(!?)
その他(良作もクソも含めて)
いやこれ見間違いじゃないよね?
なんでマーヴルの映画がネトフリにあるの。ディズニーと和解したの?
それともマーヴルがディズニー傘下に入る前の映画だからOKが出たの?
他方でウォーキングデッドのシーズン9がいつまでたっても配信開始されなかったり、
ネトフリ配信作品にもいろいろと謎が多い…。

TMNT以外は視聴済み作品が多いので、ケンガンアシュラを見てみたんだけど、
(放映タイミングが同じ原作者の「ダンベル何キロ持てる?」と同時期なんで、
小学館のあざとさを感じる)
これが作画面で面白い試みをしていて驚いた。
CGメインのアニメーションなんだけど、
ベルセルクや蒼天の拳よりCGの扱いが上手いのは元より
ところどころ手書きアニメーションを入れて、
CGでは難しい場面を補ったりしている。
これは先日見たニンジャバットマンと同じで、
「CGアニメだからって、CGだけでやろうとするのはかえっておかしいよ
手書きが得意とする表現は手書きでやればいい」
という考え方と少し近い。
従来の手書きアニメをCGで補助にするのと逆で、手書きアニメを補助に回してるんだな。
パッと見ではCGと手書きの区別がつかないよう気を使ってるのはなかなか凄い。
CGアニメの表現もここまできたか~、というのが主な感想である。

なんか前置きが長くなっちゃったけど、そろそろ今日の本題である自前イラストの話をしよう。
シャイナさん

またネトフリがらみで悪いが、ネトフリが金を出して製作した
新しい聖闘士星矢で、シャイナさんが予想以上に可愛かったので思わず手を出した。
(言い方)
ネトフリ星矢は海外産フルCGで、金も製作期間もかかってしまうことから
原作をだいぶ濃縮したストーリーになっており、
東映アニメ版どころか原作よりも進行が早くてとても見やすかった。
ただ、一方でやはり瞬を女にしてしまった問題が如実に現れており
一輝が現れて瞬をぶちのめし「あいかわらず軟弱な奴」などと罵る場面では
「女の子やぞ!」とツッコまざるを得ない。
瞬が罵られるのも、一輝が戦いを教えるのも男の子だから成り立つシーンで
「これが女の子になったらおかしいだろ!」と脚本は思わなかったんだろうか。
…だから一輝を姉さんにしろと。
それはともかく、星矢には嫁候補が三人いるわけだが、
幼馴染の美穂は聖闘士の生活にはついていけそうにないし、
沙織さんは守るべきアテナなので畏れ多い。
命がけで星矢を守ったりと、意外にも献身的な姉さん女房シャイナさんが
一番近かったと思うんだが、一応続編にあたるΩではくっついてないらしい。
なんでや!
(絵のこと話せや)
これを描いた日が一番暑かったです。
あとツイッター放流ではこれにタグをつけていないが、
聖闘士星矢ファンのお姉さま方に難癖つけられたら怖いもんで(;^ω^)

18号001

ジャンプつながりというわけでは決してないが、
そういえば全然嫌いじゃない、むしろ好きな方なのに18号さん描いたことねえなと
気が付いて筆をとったのがこの絵。
シャイナさんと違ってこっちはちゃんとクリリンとくっついて良かった…。
まあ鳥山さんは恋愛描写は苦手だけど、くっつけるべきものはくっつける人なので。
(ブルマとベジータをくっつけるのは不本意だったらしいが)
18号にかこつけて、おっぱいも描きたかったんだけど、
今は一般向けを描いていることや、宣伝に利用してるtwittbotの規約から18禁は使えないので、
乳首が出ないようにしないといけない。
でもおっぱいは描きたい、というジレンマの現れた絵である。
まあ普通に考えて良識のある18号がブラジャーをしていないわけがないが、
シャツを抜いて下乳を見せるためには、ノーブラじゃないといけない。
でも暑いからブラジャーをつけなくても仕方ない。
──いや、18号は歳をとらないということは、クーパー靭帯も衰えないということ。
つまりブラジャーは最初からいらないのではないか?
そんな結論にたった今達した。だから問題はない(は?)。
GTで老けたように見えるのは、クリリンに合わせてそういうメイクをしていたらしい。
でもぱんつをはいてないのはさすがにおかしいよね、
と思ってスカートとタイツをズラしてぱんつを見せておいた。
サービスです。
これを描いている最中に、18号があらからまに偽物のクリリンにひっかかって犯される
という18禁同人ネタを思いついて一人で笑い転げていた。

ナリアバニーガール001

pixivのユーザー企画で知り合って以来、意気投合している(と僕が勝手に思い込んでいる)
まりそんさんが毎年八月二日からやっている「バニー祭り」用に描いた。
実を言うと三年連続で参加しているのだが、このバニー祭り自体はもっと前から続いている。
三年前まで知らなくてすいませんまりそんさん。
別に知名度のあるキャラでもいいのだが、一年前と二年前もオリジナルで参加したので、
今年もオリジナルで参加。
いうてもこいつはツイッター上でときどき口にしている
描く当てがまだない18禁漫画用に準備しているキャラクターで、
描く当てがないままストーリー内容が二転三転しつづけている。
まあ、手を付けれない状態だとよくあること。
しかしさすがに自分のキャラ、かつ僕が得意とする年齢体型だけあり、
今回描いた絵の中ではもっともいい出来栄えになったのは確かである。
ストッキングに関しては、途中網目トーンを貼ろうと四苦八苦したんだけど
バニーのストッキングの網目ってこうだったかなあ…
と一度貼ったものを結局はずしてしまった。

高雄

八月二日がバニーの日だけじゃなく、ぱんつの日であると知って(情弱なのか?)
じゃあぱんつも描くべきじゃないのかと。
対象としたのは高雄で、これはツイッターで島風の服着た高雄も描いて欲しい
などと要望を受けたのがきっかけだが、
それをそのまんま描くのもリクエストを受けたような形になるし、
高雄はどうも愛宕と違ってキャラが捕らえづらくて正解を見出しにくい。
まあ試しに描いてみたというところ。
ただ、アホみたいに明るい愛宕の対称形として設定された
性格要望のように思えるんだよね高雄は。
自分の中で消化できてなかったり、興味がわかなかったキャラは、
僕はあまりうまく描けないことが多い。
ポージングは決まったものの、こうした点が設定画にひっぱられて、
目が大きかったり、色気が微妙だったり、構図がおもしろくなかったりしている。
うーむ今見ると、もっとローアングルからの角度にすべきだったか。
バニー絵とは逆に、今回もっとも反省すべき絵になってしまった。

ところで前々から言ってるサンライズ矢立文庫大賞の投稿作品だけど、
先日「審査中」から「確認中」へと段階が移行した。
まあ始まったのがすでに月末だったので、どこの企業も月末は忙しいから
こうした過程が遅れちゃうのも仕方ない。
…というかアレが審査を通ったってことなのか。
いろいろとネタがギリギリなので総ボツされても仕方ないなと思ってるんで(¦3[_____]
通ったらいいですね!

~今週の映画~
今回はマーヴル映画「キャプテン・マーベル」の感想。

MAVEL社の読み方は「マーヴル」が正しいのが本社の弁だが、
マーヴル映画が流行りだした頃からみんな「マーベル」としか呼ばないし、
僕自身もたまにマーベルと言ってしまうからまあいいか。

あらすじ
クリー帝国の首都星「ハラ」でエリート特殊部隊に属するヴァースは、
6年前にクリーによって拾われ、超人的な特殊能力を得た人物である。
彼女は繰り返し見る悪夢に苛まれており、
スターフォースの司令官ヨン・ロッグの訓練を受ける日々を送っていた。
ヴァースは宿敵スクラルが潜伏する星トルファでの任務中、
スクラルの司令タロスによって囚われ、失った記憶の一部を探査される。
隙をついて脱出した彼女は付近にあった惑星C-53こと「地球」に墜落。
接触しにきたシールドのニック・フューリーとともに、
失われた記憶を手掛かりとして、アメリカ空軍基地のペガサス施設へ向かった。

キャプテンマーベルは非常に錯綜した設定を持つスーパーヒーローである。
というのも、もともとマーベルはタイムリー社、アトラス社と名前を変え続け
1957年に現在の社名になったわけだが、のちにDC社がキャプテンマーベル(現シャザム)
を買収したことによってマーベルのキャプテンマーベルとDCのキャプテンマーベル
(まったく別のキャラクター)が同時に存在するめんどくさい事態となり、
一時期、両社ともに「マーベル」と名前の付くヒーローを使わないことにしたからだ。
初出としてはDCが買収したマーベルの方が古い(1940年)。
だからDCのマーベルはのちにシャザムに改題したり、
マーベルの方は初代マーベルが癌で病死し、
相方のミズ・マーベル(現キャプテンマーベル)がローグに意識を吸われて眠りについたり、
X-MENのマーヴルガールがフェニックスになったりした。
で、なんとか意識を取り戻したミズ・マーベルことキャロル・ダンバースが紆余曲折の末
キャプテンマーベルの名前を継承して現在に至る。
……かつてマーベルの役目を継いだノヴァの立場は(まあええか)。

そんなマーヴルのお家事情はさておいて、本作はそうした錯綜した設定を
いかにして二時間程度の映画に落とし込むかが最大の難題だった。
でも個人的にはけっこう上手くやってるんじゃないかと思う。
初代キャプテンことマー・ベルもちゃんと出てくるし、
これだけ強いのにインフィニティ・ウォーまで登場しなかった理由もわりかし納得だ。
それに最初のアヴェンジャーズで死亡し(その後テレビシリーズのシールドに移籍した)
コールソンが久々に登場するのも嬉しい。過去のエピソードだからね。

しかし僕がこの映画を見ていて最近のマーヴル映画の強さを
もっとも痛感したのがコメディへの転調だ。
「ああ、このシーンかっこいいけど滑りそう」
となったところで上手くギャグへと切り替えて収集するのは
ノーランやザック・スナイダーがひたすらマジメな映画を撮ったせいで
ギャグを入れづらくなったDCヒーロー映画にはちょっとできない。
ワンダーウーマンやスーサイドスクワッドもこのくらい上手い転調ができれば、
もっと評価も変わったものになっただろう。

またスクラルの性質から来るイメージをどんでん返しにつなげたのもなかなか上手い。
本作はこうした脚本の光る場所がいくつもあるが脚本に七人も関わってるため、
どこが誰の手柄なのかよく分からない。
逆を言えばそれだけ脚本を練りこんだということなのだろう。
うーむ、人海戦術ができる大作ならではだなあ。
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