うーむネットフリックスで始まった「マインドハンター・シーズン2」が相変わらず面白い。
サスペンスの名手であるフィンチャーがスタッフから外れたのは残念だが、
もしやそのせいで製作が遅れてしまったのか(シーズン1は2017年ですからね)、
それでも実在の殺人鬼へのインタビューや実際の連続殺人事件をうまくとりこみながら、
半分フィクションである主要人物のプライベートの懊悩を絡めるストーリーは
ありふれたドラマとは一味違う切れ味がある。
特にチームの大黒柱であるテンチ捜査官の養子がオネショしたシーンなどは
シリアルキラーを多数調べたことのある人なら「あっ」と思うことだろう。
物語の舞台は80年代前半なんだけど2000年代に自爆的にとっつかまる
連続殺人犯BTKがシーズン1からドラマにちょくちょく出てくるのが、
どう絡んでくるのか興味深いところ。
しかし今日の本題はそこではなく、土曜日に公開が終わった
「ジャイアントまりん」第十話の裏話だ。
第十話で扱っている内容は、シリーズ全体で言えば重要度は低い。
コメディなんだから、ドノヴァンへの敗北感にうちのめされたりせず
いつもどおりバカな話をしていた方が「らしい」。
それを承知の上でこういう話をしたのは、せっかく設定を作り上げた
マックス・ライオネルというキャラを一度は話の中心に持って来たかったのと、
「ナムが地球を離れない事情の変化」もついでに説明したかったから。
当初は、まりんがライオネルとは知らずに親し気に話して立ち直る一方
それを目撃していたナムがやきもちを焼く、といった展開を考えていた。
それでライオネルの真似をするナム…みたいな可愛いオチになる予定だったのだが、
恋愛模様を絡めると、話の焦点がボケてしまうことや、
登場する怪獣のコンセプトも決まってなかったりして、
取捨選択の末にナムのやきもちを削除し、まりんが立ち直る(開き直る)だけの形へ昇華すると
自然、対する怪獣のタイプも決まったのである。
やはり一話完結形式は、内容が簡潔な方がいい(ダジャレちゃうで)。
マックス・ライオネルに関しては以前もここで語ったが、
最初はマッチョ美形だったのを、面白みがないのでハゲマッチョにしたらキャラが立ったので、
ついでにストーンコールド・スティーブ・オースチンの経歴に近づけたという経緯がある。
だから冒頭に登場する社長もストンコのライバルであるWWE社長ビンス・マクマホンがモデル。
プロレスに興味のない人は知らないだろうが、このビンス社長
その驚くべきヤリ手ぶりがアメリカのプロレスありかたを変え、
経営手腕の見事さがビジネス教科書にまで載ったほどの偉人である。
特にWWEをペイパービューで放送するようになった際、
州の体育協会に「その収益の一部を収めろ」と言われると
「プロレスはスポーツじゃなくスポーツエンタテインメントやで」
と台本があることを公言してこれを回避。
こうしてプロレスの内幕を大胆に暴露したことで逆に株式公開が可能となり
古くからあった「プロレス八百長問題」すらも吹き飛ばしてしまった点は
まさにコロンブスの卵的な経営発想だ。
(面白いからガチかどうかは問題じゃないってレベルになったというべきか)
そのうえ、ストーンコールドの人気が高まると、
それまでのまともなビジネスマン風の雰囲気を脱ぎ捨てて
悪徳経営者の役割に回り、ストンコVS経営側のアングルで
脅されておしっこ漏らしたり、入院中にストンコにボコボコにされたり
あげく自分自身が(元々ただのビジネスマンだよ!)ストンコと戦ったりして
WWEを他のプロレス団体が追い付けないほどの人気に押し上げてしまった。
日本のプロレス人気の凋落ぶりからは信じられないほど
アメプロが今も大人気なのはこの人のおかげといってさしつかえない。
閑話休題。
途中で話題になる「ウォータンク・ウィッチ・エンド」はほぼアドリブだが
単純にガルパン+リトルウィッチアカデミアなネタでは面白くないので、
何かにひっかけたタイトルにしよう!
と頭を巡らせた末に北米プロレス団体WWEにひっかけた。
今回のネタがネタだからね。
それと、なんで魔女っ娘要素を加えたかというと、
第一話最初のページで戸田氏の着ていたシャツがこれの本当のネタ元だったから。
あれもアドリブで描いたんだけど、これを何かに使えないかと前々から企んでいて
たどり着いたのが今回のWWEだったのである!(衝撃の事実…か?)
この後に出てくるまりんの熱心なライオネルの歴史は、
アメプロファンなら分かる、ストンコの有名エピソードだ。
(ネームにした時はこのネタわかるのか不安だったが、
どうやらプロレスファンには伝わっていた模様)
日本人にとってはアメプロというとドゥエイン・ジョンソンことロック様は知ってるけど
ストーンコールド・スティーブ・オースチンは知らない人が多いと思う。
僕もそうだった。
しかし実のところストーンコールドはアメリカマット界において
ホーガンに匹敵するほどのレジェンドで、ロック様より上の存在感の持ち主なのである。
若い頃は日本に遠征中、首をケガしてる蝶野にパイルドライバーをかまして怒らせたり、
大物スーパースターの介添えを受けてもいいところを見せられなかったりしたが、
徐々にヒールレスラーとしてやりたい放題のキャラを確立していった。
中でもドラッグ中毒から立ち直ったジェイク・ロバーツが
「俺が改心する時、もっとも心にしみたのはヨハネ3章16節だ」と語った際
(キリストを神の子として奉る根拠が示された聖書の重要箇所である)、
ストンコは「オメエの聖書の3章16節にはそう書かれてるかもしれねえが
オースチン3章16節には『お前をケツを蹴っ飛ばす』って書いてあるぜ!」と茶化す暴挙を行い、
これがキリスト教徒の多いアメリカ人を激怒させるどころか
逆に大ウケしてストーンコールド人気を不動のものとした。
ジャイアントまりんで「ハムラビ法典云々」のくだりはまさにここのパロディなのである。
僕はエキサイティングプロレスから入った人なので、アメプロのことは正直言ってニワカ。
だが本編のまりんはそうじゃないので、このくだりは資料をひっぱりだして勉強しなおした。
そのおかげなのか、このあとのまりんとマグナンの試合は
(試合じゃねえよ)
とてもプロレスらしい流れになった。
「さすらいの謎のコーチX」の難しい状況に適当なことを言って乗り切る流れは
確実に島本和彦先生のノリである。
「暗黒流れ星!」とか「ここに優勝旗を飾りたくはありませんか!」というやつ。
背景が燃えているのもそのせいだろう。
でも実際にコーチにならないのは、ナムとまりんの関係によけいな要素を入れたくなかったから。
ナムとまりんの関係って恋愛模様とかじゃなく、
バカなことをバカのままやりとりしつづけることなんじゃないかと
7話の内容を反芻してそう思うのだ。
第十話の怪獣は上記したとおり、一か月前くらいまでまったく考えつかなかった。
話の形態を簡潔にしたことでドノヴァンの劣化コピーというイメージにつながったのだ。
特に飛び道具のないストロングスタイルで、筋肉を妄信しているが実態は伴っていない
などといったツッコミどころもあり、とても扱いやすい怪獣だったと思う。
一方的なマグナンの展開から、一発で流れを変えて、凶器攻撃、
敵の攻撃をかわしてリング(?)を一周してのドロップキックでダウンしたところへ
追い打ちのフィニッシャー・ジャイアントピーチとプロレスらしい流れを描けたのは収穫。
なにしろ僕は今までほとんど命(タマ)の取り合いの戦いばっかり描いてたもんで、
なかなかプロレスらしい戦いの感覚がつかめなかったのよね。
毎回こういう怪獣だと戦いも組み立てやすいんだけど、
それだと描く方も読む方も飽きちゃうし(;^ω^)
難しいもんです。
フィニッシャーの前にある「プロレスと周辺環境を組み合わせたまったく新しい格闘技」
のナレーションは往年の格闘ゲーマーなら知っている「風雲黙示録」が元ネタ。
このゲームツッコミどころ満載という意味で伝説なんだけど、
知らない人のために参考動画を置いておこう。
2019年でもまったく新しい格闘技である。
ジャイアントまりんの第十一話「ホロフロア大作戦」は本日夜から投稿するが、
投稿形式に関して意見があったこともあり、
試しに週に一回4~7ページを一度に公開してみようと思う。
反応しだいでは今後この形式に定着するかもしれない。
~今週の映画~
今回は日本の漫画「銃夢」を原作とした「アリータ・バトルエンジェル」の感想
あらすじは…特に書かない。これは士郎先生の作品と並ぶ、
日本のSFサイバーパンクの金字塔。読むんだよオラッ
公開時、SNSでは「なんで銃夢じゃないの」とか言われたし、僕もそう思ったんだけど
それができなかった理由は今回本編を見て分かった。
モーターボールのシーンで「アリータ」と応援プラカードを掲げる観衆がおり、
これを修正するのは大変な手間がかかるので(ディズニーならやるんだけど)、
原題をそのままにしたのだろう。
それでなくとも、連載作品である原作ならいつかタイトルを回収する時があるかもと
タイトルが「銃夢」のままでもいいが、続編があるかどうかもわからない映画では
「銃夢」などとタイトルつけても、主人公は最後まで銃を使わないので
何も知らない観客を混乱させるだけ、といった理由もありそうだ。
似たような理由として、アリータのモーターボールヘルメットがハーフフェイスでダサかったり
名前を明かすとネタバレになるあの人が眼鏡をとっちゃうのは、
「ハリウッド俳優は顔が命」とばかりに、せっかく生身で出演してるのに
顔が隠れるのでは意味がない、という理由が多分に考えられる。
めんどくさいが向こうではそういった契約が細かいので仕方あるまい。
劇場公開を見たフォロワーの方々の感想では良好な印象で、
僕もハズレではなかろうと配信されるかどうかわからないネトフリを待たずに
レンタルで視聴したのだが、感想としては思いのほか五分五分といったところ。
ストーリーはかつて発売された上下巻のOVAを下地にしている。
このアニメはスーパーバイザーをりんたろうさんが、
キャラデザインと総作画監督を結城信輝さんが
つとめるとあって大変期待して入手したのだが、
肝心の出来はというと微妙…。
というかどう考えてもあの密度の原作1、2巻を
一本三十分のOVA2巻でうまいことまとめられるわけがない。
唯一、光っていたのがオリジナルキャラのチレンの使い方で、
原作において死にかけたユーゴを医療の素人であるガリィが
どうやって自分の心臓とつないだのか
「うまい展開だけど、若干無理のあるシーン」を
彼女を投入することにより、自然に回収した部分。
OVAと同じように短い時間でまとめないといけない映画で、
これを踏襲せざるを得なかったのが実情か。
とはいえアニメーションでは時間がなかったのか今一歩だったアクションシーンが
今回の実写版ではこれが期待以上の出来になっていたのはさすがロバート・ロドリゲス。
こういうシーンは上手い。
特にモーターボールなどは
「これだよ!ファンが銃夢の動画で期待していたのは、
まさにこういうハイスピード&バイオレンスなんだよ!」
と拳を握りしめてしまったほどである。
一方でガッカリというほとではないにしろ、感動できなかったのがユーゴ(ヒューゴ)まわり。
なぜユーゴがあれほどザレムに固執し、そのためにヤバイと思ってても
犯罪に走らざるをえなかったのか。
OVAはまったく時間がない分、演じた山口勝平の演技で補っていたのだが、
映画はもうちょっと時間があるので、兄貴のくだりをやった方がよかったように思う。
ユーゴの背景がないもんだから、
クライマックスでファクトリーチューブを上るシーンにももう一つ説得力がない。
しかもここでガリィの回想シーン(映画オリジナル)が入るからなお散漫な印象になってしまった。
まああと気になったのが、グリシュカがグラインドカッターで犬を惨殺するシーン。
アニメは気合十分に犬のバラバラシーンが描きこまれていたのだが、
アメリカは動物愛護団体がうるさいので、人間をバラバラにしてもいいけど
犬や猫をバラバラにするシーンを見せられないとか矛盾してるゥ!
てな具合で、アクションシーンは満点、それ以外のシーンはもうちょっと…
というのが本作の感想。
原作漫画は最近えらい更新が遅れてるけど、
ベルセルクみたいに「描いても描いても終わらない」とか
富樫先生みたいに「話を考えるのが大変で進まない」とかじゃなく
木城先生の体調問題らしいので心配なところ。
火星戦記編はたぶん「なぜガリィが地球投下刑にされても生きていたか」の答え合わせだと
思ってるんだけど(旧ビジネスジャンプ版では違う理由が描かれていた)、
ちゃんと最後まで見られるのかだんだん不安になってきた。
サスペンスの名手であるフィンチャーがスタッフから外れたのは残念だが、
もしやそのせいで製作が遅れてしまったのか(シーズン1は2017年ですからね)、
それでも実在の殺人鬼へのインタビューや実際の連続殺人事件をうまくとりこみながら、
半分フィクションである主要人物のプライベートの懊悩を絡めるストーリーは
ありふれたドラマとは一味違う切れ味がある。
特にチームの大黒柱であるテンチ捜査官の養子がオネショしたシーンなどは
シリアルキラーを多数調べたことのある人なら「あっ」と思うことだろう。
物語の舞台は80年代前半なんだけど2000年代に自爆的にとっつかまる
連続殺人犯BTKがシーズン1からドラマにちょくちょく出てくるのが、
どう絡んでくるのか興味深いところ。
しかし今日の本題はそこではなく、土曜日に公開が終わった
「ジャイアントまりん」第十話の裏話だ。
第十話で扱っている内容は、シリーズ全体で言えば重要度は低い。
コメディなんだから、ドノヴァンへの敗北感にうちのめされたりせず
いつもどおりバカな話をしていた方が「らしい」。
それを承知の上でこういう話をしたのは、せっかく設定を作り上げた
マックス・ライオネルというキャラを一度は話の中心に持って来たかったのと、
「ナムが地球を離れない事情の変化」もついでに説明したかったから。
当初は、まりんがライオネルとは知らずに親し気に話して立ち直る一方
それを目撃していたナムがやきもちを焼く、といった展開を考えていた。
それでライオネルの真似をするナム…みたいな可愛いオチになる予定だったのだが、
恋愛模様を絡めると、話の焦点がボケてしまうことや、
登場する怪獣のコンセプトも決まってなかったりして、
取捨選択の末にナムのやきもちを削除し、まりんが立ち直る(開き直る)だけの形へ昇華すると
自然、対する怪獣のタイプも決まったのである。
やはり一話完結形式は、内容が簡潔な方がいい(ダジャレちゃうで)。
マックス・ライオネルに関しては以前もここで語ったが、
最初はマッチョ美形だったのを、面白みがないのでハゲマッチョにしたらキャラが立ったので、
ついでにストーンコールド・スティーブ・オースチンの経歴に近づけたという経緯がある。
だから冒頭に登場する社長もストンコのライバルであるWWE社長ビンス・マクマホンがモデル。
プロレスに興味のない人は知らないだろうが、このビンス社長
その驚くべきヤリ手ぶりがアメリカのプロレスありかたを変え、
経営手腕の見事さがビジネス教科書にまで載ったほどの偉人である。
特にWWEをペイパービューで放送するようになった際、
州の体育協会に「その収益の一部を収めろ」と言われると
「プロレスはスポーツじゃなくスポーツエンタテインメントやで」
と台本があることを公言してこれを回避。
こうしてプロレスの内幕を大胆に暴露したことで逆に株式公開が可能となり
古くからあった「プロレス八百長問題」すらも吹き飛ばしてしまった点は
まさにコロンブスの卵的な経営発想だ。
(面白いからガチかどうかは問題じゃないってレベルになったというべきか)
そのうえ、ストーンコールドの人気が高まると、
それまでのまともなビジネスマン風の雰囲気を脱ぎ捨てて
悪徳経営者の役割に回り、ストンコVS経営側のアングルで
脅されておしっこ漏らしたり、入院中にストンコにボコボコにされたり
あげく自分自身が(元々ただのビジネスマンだよ!)ストンコと戦ったりして
WWEを他のプロレス団体が追い付けないほどの人気に押し上げてしまった。
日本のプロレス人気の凋落ぶりからは信じられないほど
アメプロが今も大人気なのはこの人のおかげといってさしつかえない。
閑話休題。
途中で話題になる「ウォータンク・ウィッチ・エンド」はほぼアドリブだが
単純にガルパン+リトルウィッチアカデミアなネタでは面白くないので、
何かにひっかけたタイトルにしよう!
と頭を巡らせた末に北米プロレス団体WWEにひっかけた。
今回のネタがネタだからね。
それと、なんで魔女っ娘要素を加えたかというと、
第一話最初のページで戸田氏の着ていたシャツがこれの本当のネタ元だったから。
あれもアドリブで描いたんだけど、これを何かに使えないかと前々から企んでいて
たどり着いたのが今回のWWEだったのである!(衝撃の事実…か?)
この後に出てくるまりんの熱心なライオネルの歴史は、
アメプロファンなら分かる、ストンコの有名エピソードだ。
(ネームにした時はこのネタわかるのか不安だったが、
どうやらプロレスファンには伝わっていた模様)
日本人にとってはアメプロというとドゥエイン・ジョンソンことロック様は知ってるけど
ストーンコールド・スティーブ・オースチンは知らない人が多いと思う。
僕もそうだった。
しかし実のところストーンコールドはアメリカマット界において
ホーガンに匹敵するほどのレジェンドで、ロック様より上の存在感の持ち主なのである。
若い頃は日本に遠征中、首をケガしてる蝶野にパイルドライバーをかまして怒らせたり、
大物スーパースターの介添えを受けてもいいところを見せられなかったりしたが、
徐々にヒールレスラーとしてやりたい放題のキャラを確立していった。
中でもドラッグ中毒から立ち直ったジェイク・ロバーツが
「俺が改心する時、もっとも心にしみたのはヨハネ3章16節だ」と語った際
(キリストを神の子として奉る根拠が示された聖書の重要箇所である)、
ストンコは「オメエの聖書の3章16節にはそう書かれてるかもしれねえが
オースチン3章16節には『お前をケツを蹴っ飛ばす』って書いてあるぜ!」と茶化す暴挙を行い、
これがキリスト教徒の多いアメリカ人を激怒させるどころか
逆に大ウケしてストーンコールド人気を不動のものとした。
ジャイアントまりんで「ハムラビ法典云々」のくだりはまさにここのパロディなのである。
僕はエキサイティングプロレスから入った人なので、アメプロのことは正直言ってニワカ。
だが本編のまりんはそうじゃないので、このくだりは資料をひっぱりだして勉強しなおした。
そのおかげなのか、このあとのまりんとマグナンの試合は
(試合じゃねえよ)
とてもプロレスらしい流れになった。
「さすらいの謎のコーチX」の難しい状況に適当なことを言って乗り切る流れは
確実に島本和彦先生のノリである。
「暗黒流れ星!」とか「ここに優勝旗を飾りたくはありませんか!」というやつ。
背景が燃えているのもそのせいだろう。
でも実際にコーチにならないのは、ナムとまりんの関係によけいな要素を入れたくなかったから。
ナムとまりんの関係って恋愛模様とかじゃなく、
バカなことをバカのままやりとりしつづけることなんじゃないかと
7話の内容を反芻してそう思うのだ。
第十話の怪獣は上記したとおり、一か月前くらいまでまったく考えつかなかった。
話の形態を簡潔にしたことでドノヴァンの劣化コピーというイメージにつながったのだ。
特に飛び道具のないストロングスタイルで、筋肉を妄信しているが実態は伴っていない
などといったツッコミどころもあり、とても扱いやすい怪獣だったと思う。
一方的なマグナンの展開から、一発で流れを変えて、凶器攻撃、
敵の攻撃をかわしてリング(?)を一周してのドロップキックでダウンしたところへ
追い打ちのフィニッシャー・ジャイアントピーチとプロレスらしい流れを描けたのは収穫。
なにしろ僕は今までほとんど命(タマ)の取り合いの戦いばっかり描いてたもんで、
なかなかプロレスらしい戦いの感覚がつかめなかったのよね。
毎回こういう怪獣だと戦いも組み立てやすいんだけど、
それだと描く方も読む方も飽きちゃうし(;^ω^)
難しいもんです。
フィニッシャーの前にある「プロレスと周辺環境を組み合わせたまったく新しい格闘技」
のナレーションは往年の格闘ゲーマーなら知っている「風雲黙示録」が元ネタ。
このゲームツッコミどころ満載という意味で伝説なんだけど、
知らない人のために参考動画を置いておこう。
2019年でもまったく新しい格闘技である。
ジャイアントまりんの第十一話「ホロフロア大作戦」は本日夜から投稿するが、
投稿形式に関して意見があったこともあり、
試しに週に一回4~7ページを一度に公開してみようと思う。
反応しだいでは今後この形式に定着するかもしれない。
~今週の映画~
今回は日本の漫画「銃夢」を原作とした「アリータ・バトルエンジェル」の感想
あらすじは…特に書かない。これは士郎先生の作品と並ぶ、
日本のSFサイバーパンクの金字塔。読むんだよオラッ
公開時、SNSでは「なんで銃夢じゃないの」とか言われたし、僕もそう思ったんだけど
それができなかった理由は今回本編を見て分かった。
モーターボールのシーンで「アリータ」と応援プラカードを掲げる観衆がおり、
これを修正するのは大変な手間がかかるので(ディズニーならやるんだけど)、
原題をそのままにしたのだろう。
それでなくとも、連載作品である原作ならいつかタイトルを回収する時があるかもと
タイトルが「銃夢」のままでもいいが、続編があるかどうかもわからない映画では
「銃夢」などとタイトルつけても、主人公は最後まで銃を使わないので
何も知らない観客を混乱させるだけ、といった理由もありそうだ。
似たような理由として、アリータのモーターボールヘルメットがハーフフェイスでダサかったり
名前を明かすとネタバレになるあの人が眼鏡をとっちゃうのは、
「ハリウッド俳優は顔が命」とばかりに、せっかく生身で出演してるのに
顔が隠れるのでは意味がない、という理由が多分に考えられる。
めんどくさいが向こうではそういった契約が細かいので仕方あるまい。
劇場公開を見たフォロワーの方々の感想では良好な印象で、
僕もハズレではなかろうと配信されるかどうかわからないネトフリを待たずに
レンタルで視聴したのだが、感想としては思いのほか五分五分といったところ。
ストーリーはかつて発売された上下巻のOVAを下地にしている。
このアニメはスーパーバイザーをりんたろうさんが、
キャラデザインと総作画監督を結城信輝さんが
つとめるとあって大変期待して入手したのだが、
肝心の出来はというと微妙…。
というかどう考えてもあの密度の原作1、2巻を
一本三十分のOVA2巻でうまいことまとめられるわけがない。
唯一、光っていたのがオリジナルキャラのチレンの使い方で、
原作において死にかけたユーゴを医療の素人であるガリィが
どうやって自分の心臓とつないだのか
「うまい展開だけど、若干無理のあるシーン」を
彼女を投入することにより、自然に回収した部分。
OVAと同じように短い時間でまとめないといけない映画で、
これを踏襲せざるを得なかったのが実情か。
とはいえアニメーションでは時間がなかったのか今一歩だったアクションシーンが
今回の実写版ではこれが期待以上の出来になっていたのはさすがロバート・ロドリゲス。
こういうシーンは上手い。
特にモーターボールなどは
「これだよ!ファンが銃夢の動画で期待していたのは、
まさにこういうハイスピード&バイオレンスなんだよ!」
と拳を握りしめてしまったほどである。
一方でガッカリというほとではないにしろ、感動できなかったのがユーゴ(ヒューゴ)まわり。
なぜユーゴがあれほどザレムに固執し、そのためにヤバイと思ってても
犯罪に走らざるをえなかったのか。
OVAはまったく時間がない分、演じた山口勝平の演技で補っていたのだが、
映画はもうちょっと時間があるので、兄貴のくだりをやった方がよかったように思う。
ユーゴの背景がないもんだから、
クライマックスでファクトリーチューブを上るシーンにももう一つ説得力がない。
しかもここでガリィの回想シーン(映画オリジナル)が入るからなお散漫な印象になってしまった。
まああと気になったのが、グリシュカがグラインドカッターで犬を惨殺するシーン。
アニメは気合十分に犬のバラバラシーンが描きこまれていたのだが、
アメリカは動物愛護団体がうるさいので、人間をバラバラにしてもいいけど
犬や猫をバラバラにするシーンを見せられないとか矛盾してるゥ!
てな具合で、アクションシーンは満点、それ以外のシーンはもうちょっと…
というのが本作の感想。
原作漫画は最近えらい更新が遅れてるけど、
ベルセルクみたいに「描いても描いても終わらない」とか
富樫先生みたいに「話を考えるのが大変で進まない」とかじゃなく
木城先生の体調問題らしいので心配なところ。
火星戦記編はたぶん「なぜガリィが地球投下刑にされても生きていたか」の答え合わせだと
思ってるんだけど(旧ビジネスジャンプ版では違う理由が描かれていた)、
ちゃんと最後まで見られるのかだんだん不安になってきた。