思いのほか話がかさむなあ…
今週はいろいろと作業がたてこんだ。
冥王星30をどうにか完成(仮)させ、来月用のバニー絵を描き
発表されたばかりの次のプリキュアおぱんつ絵を描き
そして次のCG集用のスクリプトにとりかかる
そんな状況だった。
せめてプリキュアのぱんつ絵がなければもう少し余裕ができて
年賀絵くらい出せたような気もするが、
最近は新プリキュアの発表がけっこうギリギリになっているので
こちらとしてもギリギリに製作をしないといけなくなってる…。
東映よ、どうして…。
しかしプリキュアのパンチラを描いたところで
僕には一銭も入ったりしないのだった。
なんで描いてるんでしょうね(;^ω^)
それはとにかく、次のCG集として予定している
エヴァンゲリオンのリツコif(仮称「R if」)のスクリプト
これが予想の他というか、予想通りと言うか話がかさんでいる。
これまでのセラムンCG集のように
できるだけ話を短絡させてエロシーンへ…
という具合にはいかない。
このブログを読み続けている、僕とのお付き合いの長い読者の方はご存知だろうが
リツコif的な話はかなり昔から構想していた。
しかし今までやってこなかった、漫画にしなかったのは
「話が長くなりそうだったから」にほかならない。
このネタのキモはただリツコのエロをやることではなく、
なんでリツコがシンジと寝るようになったのか、
といった彼女の情緒的な部分だ。
碇ゲンドウというクソ親父に翻弄された二人が、
傷をなめ合うように体を重ねていく過程が重要なんだ。
それを描くとなると、当然二人の内面を描かないといかんので、
コマ数、ページ数ともに増えやすい漫画だと
描き始めたらいつ終わるか分からないので、やるにやれなかった。
でも半絵本的なCG集なら文章や絵を圧縮できるので可能ではないか。
それが今回、とうとうリツコifに手を付けた理由である。
いざ書いてみるとこれが、予想以上に手が進まない。
原因はリツコではなくシンジで、彼がなかなか納得してエロに進んでくれないんだ。
なにしろ、綾波が死んだとき体で慰めようとしたミサトを拒絶したような子。
エヴァンゲリオン自体も「なんで僕はEVAに乗るんだろう」
と理由を探し続ける話だし、結構頑固な面がある。
アムロだってそれなりの理由を前半のうちに見つけて
ガンダムパイロットであることに納得しちゃうのに。
「なんでリツコさんは僕とセックスしようとするの」
みたいなことを言い始める。
キャラクターが勝手に動くってのは、こういうことなんですよ。
それは他人が作ったキャラクターでも同じ。人物像がしっかりできてると
勝手に動いて思うように進んでくれなくなる。
で、リツコもリツコでなかなか本心を言わないタチだから、
誘導するこちらもどうしたもんかと頭を抱える。
だから頻繁にセックスするようになるまでの過程を考えるのに
何回も峠がありました。
今だいぶ終わりに差しかかってるところだけど
ここまで来るの大変だったぁ~。
潤滑剤的な人物を出せば、もう少し話を回しやすいんだけど、
余計な人がおるとエロには野暮だもんで。
なんとかスクリプトは形にできるだろうが、それですぐ製作に…とはいかない。
エヴァ本編から参考になるシーンをスクショしたり、
キャラデザインを改めてまとめたりと、
まだ製作にとりかかるまでにやるべきことは若干残ってる。
はあ~これで予定どおりの日程で出せるかなあ…。
結構シビアなんじゃないかと思う。
とりあえずいつもどおり製作過程を出せるようになるまでちょっとお待ちください。
~今週の映画~
今回はスプラッターホラーコメディの最前線
「サイコ・ゴアマン」の感想。
あらすじ
かつて宇宙を恐怖のどん底に陥れた「悪夢の大公」と呼ばれる人物がいた。
しかし彼はその力の源である宝石とともに、ある惑星の地下に封印される。
それからある惑星=地球では何百年もの時が経った。
ある日、ルークとミミの兄妹は、遊んでいるうちに庭で謎の宝石を見つけ、
「悪夢の大公」を偶然にも復活させてしまう。
大公は恐るべき力を見せつけ、二人を恐怖に陥れるが、
宝石を持つミミにはまったく手を出せない。
それを知ったミミは持ち前の傍若無人さを発揮し、
大公を思うままに操った末、「悪夢の大公」なんてつまらないと
勝手に「サイコ・ゴアマン」と名付けてしまう。
サイコ・ゴアマンは、状況を打開しようと
兄弟が帰った隙にかつての部下に連絡を取る。
一方、宇宙の安寧を監視するテンプル騎士団は悪夢の大公復活をかぎつけ、
その抹殺の資格として最強の戦士パンドラが地球へ乗り込むのだった。
オープニングからB級どころかZ級の香りをぷんぷんさせる
ヤバ目の映画だが、その予感はアタリでありハズレでもある。
サイコ・ゴアマンが目覚めたのっけから盛大な内臓と血しぶきの
容赦ない人体破壊のフルコース。
この恐るべき力が幼い兄弟にも襲いかかる…
ことはなく8歳のミミという少女に思うまま操られてしまうバカ(褒め)展開。
しかし本当に恐ろしいのはサイコ・ゴアマンなどではなく、
むしろこのミミという少女。
サイコ・ゴアマンのパワーを見てもまったく怖じたりせず、
自分が操れると分かるや、自分こそが宇宙の支配者とばかりにやりたい放題。
好意を寄せていた兄の友人を自分の意のままにしようとしたら
うっかりバケモンに変身させるのは序の口(これが序の口)。
サイコ・ゴアマンにバンドの演奏させたり、
気に食わない近所のガキを始末させたり、
かけつけた警官を処分させたり。
根本的に兄のルークを兄と思わぬ扱いをしているこのミミの方こそ
宇宙の魔王に相応しい。そんな傍若無人さをこれでもかと見せつける。
ようするにギャグなのだが、絵面のグロさやミミの性格を笑えるかで
好き嫌いが分かれるところ。僕は好き。
作品の雰囲気からもうかがえるが、監督のスティーヴン・コスタンスキは
かなりの日本特撮好きで、本作も「真・仮面ライダー」や
「強殖装甲ガイバー」の影響を受けたという。
しかし着ぐるみ同士がああだこうだとわちゃわちゃするシーンなんかは
むしろ着ぐるみ群像劇な「キカイダー」や「メタルダー」を彷彿とさせる。
なぜか一人だけ流暢な日本語でしゃべるキャラクターも登場する。
(日本人俳優の黒沢あすかが演じていたらしい)
うっかりするとジョー・ダンテが好みそうな(失礼)Z級映画になりそうなところを
ミミやその他宇宙人らの強烈なキャラクター、容赦のないゴア描写で引っ張り、
ここぞという場面で貼っておいた伏線を持ってきたり、
ファミリー描写を入れてくるなど、
ただのバカ映画では終わらない底力がある。
意外といい味を出しているのが、兄弟の父親で、
言うたらダメ親父なのだが、このダメっぷりが話に厚みを持たせている。
なるほどこの親父がミミのあの性格を作ってしまったのだと。
低予算だが、この手のジャンルに対する愛情たっぷりな映画だ。
今週はいろいろと作業がたてこんだ。
冥王星30をどうにか完成(仮)させ、来月用のバニー絵を描き
発表されたばかりの次のプリキュアおぱんつ絵を描き
そして次のCG集用のスクリプトにとりかかる
そんな状況だった。
せめてプリキュアのぱんつ絵がなければもう少し余裕ができて
年賀絵くらい出せたような気もするが、
最近は新プリキュアの発表がけっこうギリギリになっているので
こちらとしてもギリギリに製作をしないといけなくなってる…。
東映よ、どうして…。
しかしプリキュアのパンチラを描いたところで
僕には一銭も入ったりしないのだった。
なんで描いてるんでしょうね(;^ω^)
それはとにかく、次のCG集として予定している
エヴァンゲリオンのリツコif(仮称「R if」)のスクリプト
これが予想の他というか、予想通りと言うか話がかさんでいる。
これまでのセラムンCG集のように
できるだけ話を短絡させてエロシーンへ…
という具合にはいかない。
このブログを読み続けている、僕とのお付き合いの長い読者の方はご存知だろうが
リツコif的な話はかなり昔から構想していた。
しかし今までやってこなかった、漫画にしなかったのは
「話が長くなりそうだったから」にほかならない。
このネタのキモはただリツコのエロをやることではなく、
なんでリツコがシンジと寝るようになったのか、
といった彼女の情緒的な部分だ。
碇ゲンドウというクソ親父に翻弄された二人が、
傷をなめ合うように体を重ねていく過程が重要なんだ。
それを描くとなると、当然二人の内面を描かないといかんので、
コマ数、ページ数ともに増えやすい漫画だと
描き始めたらいつ終わるか分からないので、やるにやれなかった。
でも半絵本的なCG集なら文章や絵を圧縮できるので可能ではないか。
それが今回、とうとうリツコifに手を付けた理由である。
いざ書いてみるとこれが、予想以上に手が進まない。
原因はリツコではなくシンジで、彼がなかなか納得してエロに進んでくれないんだ。
なにしろ、綾波が死んだとき体で慰めようとしたミサトを拒絶したような子。
エヴァンゲリオン自体も「なんで僕はEVAに乗るんだろう」
と理由を探し続ける話だし、結構頑固な面がある。
アムロだってそれなりの理由を前半のうちに見つけて
ガンダムパイロットであることに納得しちゃうのに。
「なんでリツコさんは僕とセックスしようとするの」
みたいなことを言い始める。
キャラクターが勝手に動くってのは、こういうことなんですよ。
それは他人が作ったキャラクターでも同じ。人物像がしっかりできてると
勝手に動いて思うように進んでくれなくなる。
で、リツコもリツコでなかなか本心を言わないタチだから、
誘導するこちらもどうしたもんかと頭を抱える。
だから頻繁にセックスするようになるまでの過程を考えるのに
何回も峠がありました。
今だいぶ終わりに差しかかってるところだけど
ここまで来るの大変だったぁ~。
潤滑剤的な人物を出せば、もう少し話を回しやすいんだけど、
余計な人がおるとエロには野暮だもんで。
なんとかスクリプトは形にできるだろうが、それですぐ製作に…とはいかない。
エヴァ本編から参考になるシーンをスクショしたり、
キャラデザインを改めてまとめたりと、
まだ製作にとりかかるまでにやるべきことは若干残ってる。
はあ~これで予定どおりの日程で出せるかなあ…。
結構シビアなんじゃないかと思う。
とりあえずいつもどおり製作過程を出せるようになるまでちょっとお待ちください。
~今週の映画~
今回はスプラッターホラーコメディの最前線
「サイコ・ゴアマン」の感想。
あらすじ
かつて宇宙を恐怖のどん底に陥れた「悪夢の大公」と呼ばれる人物がいた。
しかし彼はその力の源である宝石とともに、ある惑星の地下に封印される。
それからある惑星=地球では何百年もの時が経った。
ある日、ルークとミミの兄妹は、遊んでいるうちに庭で謎の宝石を見つけ、
「悪夢の大公」を偶然にも復活させてしまう。
大公は恐るべき力を見せつけ、二人を恐怖に陥れるが、
宝石を持つミミにはまったく手を出せない。
それを知ったミミは持ち前の傍若無人さを発揮し、
大公を思うままに操った末、「悪夢の大公」なんてつまらないと
勝手に「サイコ・ゴアマン」と名付けてしまう。
サイコ・ゴアマンは、状況を打開しようと
兄弟が帰った隙にかつての部下に連絡を取る。
一方、宇宙の安寧を監視するテンプル騎士団は悪夢の大公復活をかぎつけ、
その抹殺の資格として最強の戦士パンドラが地球へ乗り込むのだった。
オープニングからB級どころかZ級の香りをぷんぷんさせる
ヤバ目の映画だが、その予感はアタリでありハズレでもある。
サイコ・ゴアマンが目覚めたのっけから盛大な内臓と血しぶきの
容赦ない人体破壊のフルコース。
この恐るべき力が幼い兄弟にも襲いかかる…
ことはなく8歳のミミという少女に思うまま操られてしまうバカ(褒め)展開。
しかし本当に恐ろしいのはサイコ・ゴアマンなどではなく、
むしろこのミミという少女。
サイコ・ゴアマンのパワーを見てもまったく怖じたりせず、
自分が操れると分かるや、自分こそが宇宙の支配者とばかりにやりたい放題。
好意を寄せていた兄の友人を自分の意のままにしようとしたら
うっかりバケモンに変身させるのは序の口(これが序の口)。
サイコ・ゴアマンにバンドの演奏させたり、
気に食わない近所のガキを始末させたり、
かけつけた警官を処分させたり。
根本的に兄のルークを兄と思わぬ扱いをしているこのミミの方こそ
宇宙の魔王に相応しい。そんな傍若無人さをこれでもかと見せつける。
ようするにギャグなのだが、絵面のグロさやミミの性格を笑えるかで
好き嫌いが分かれるところ。僕は好き。
作品の雰囲気からもうかがえるが、監督のスティーヴン・コスタンスキは
かなりの日本特撮好きで、本作も「真・仮面ライダー」や
「強殖装甲ガイバー」の影響を受けたという。
しかし着ぐるみ同士がああだこうだとわちゃわちゃするシーンなんかは
むしろ着ぐるみ群像劇な「キカイダー」や「メタルダー」を彷彿とさせる。
なぜか一人だけ流暢な日本語でしゃべるキャラクターも登場する。
(日本人俳優の黒沢あすかが演じていたらしい)
うっかりするとジョー・ダンテが好みそうな(失礼)Z級映画になりそうなところを
ミミやその他宇宙人らの強烈なキャラクター、容赦のないゴア描写で引っ張り、
ここぞという場面で貼っておいた伏線を持ってきたり、
ファミリー描写を入れてくるなど、
ただのバカ映画では終わらない底力がある。
意外といい味を出しているのが、兄弟の父親で、
言うたらダメ親父なのだが、このダメっぷりが話に厚みを持たせている。
なるほどこの親父がミミのあの性格を作ってしまったのだと。
低予算だが、この手のジャンルに対する愛情たっぷりな映画だ。